ブックタイトルしんゆり人 NO.001 2018 WINTER

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概要

しんゆり人 NO.001 2018 WINTER

しようと、まちづくりを検討していた。同時に川崎市は北部の「副都心計画」を、小田急電鉄は「多摩新線」の計画を進めていて、3者がまとまっていった。 1974(昭和49)年6月1日、新百合ヶ丘駅が開業。同時に多摩線が開通して、五月台、栗平、黒川の3駅が誕生した。当時の南口は切り崩した山肌が残り、車が乗り入れられる広場があるだけ。北口は世田谷通りから、畑の横を上がる道幅1メートルほどの歩行者通路が作られただけ(写真左中)。急行停車駅とは思えない佇まいで、周辺の雑木林はカブトムシやクワガタの宝庫。夜にもなればまばらな街灯に帰宅の足が自然と早まるのだった。 新百合ヶ丘駅の本当の完成は、開業から10年を経た1983(昭和58)年末の周辺整備事業竣工の時(写真左下)なのかもしれない。まっすぐに伸びたハナミズキが並ぶペデストリアンデッキの先に駅が見える。周辺には麻生区役所があるだけだったが、新百合ヶ丘駅は間違いなくピカピカに輝いていた。01. 開業当時の新百合ヶ丘駅南口(1974 年)。02. 宅地化される前の新百合ヶ丘駅周辺(1940 年代)。03. 新百合ヶ丘駅開業当時の新百合ヶ丘駅周辺(1974 年)。04. 周辺整備が完成した新百合ヶ丘駅南口(1983 年)。02030431 しんゆり人 NO. 001 2018 WINTER