ブックタイトルしんゆり人 NO.002 2019 SPRING

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概要

しんゆり人 NO.002 2019 SPRING

参考文献:「ふるさとの心が躍動するまちづくり」(新百合丘駅周辺土地区画管理組合編)は高さが分かりにくいが、緑広がるいくつかの小山が連なる、人があまり踏み入れぬ雑木林と昔ながらの景色が残る谷戸だった。右上が百合ヶ丘駅。そこから左斜め下に向かって、世田谷通りと並行して小田急線が通っていたのも分かる。 急行停車駅ができたものの、相変わらずまちは線路に隔てられたまま。駅南口側へは自家用車はなんとか入ることができたため、通勤・通学は奥さん(お母さん)の運転で駅まで送ってもらう。それがかなわぬ人たちは、寂しい工事現場の中、20分から30分もの道のりを黙々と歩いた。駅北口側に住む人が車で駅に近づくには、とても遠回りをしなければならない。万福寺交差点あたりで百合ヶ丘駅行きのバスを降りて、人がやっとすれ違えるくらいの幅しかない道を使って駅に向かう。 駅周辺の土地区画整理事業が完成する1984(昭和59)年頃まで、通勤・通学の苦労が続くことになる。01. 団地坂上バス停そばの王禅寺見晴らし公園あたりから新百合ヶ丘駅方面を撮影した写真(1967 年)。この7 年後に鉄塔の向こう、画面の右端あたりの山の中に駅ができる。02. 新百合ヶ丘駅開業当時の新百合ヶ丘駅周辺(1974 年)。03. 現在の新百合ヶ丘駅北口ロータリーあたり。万福寺交差点から、この細い歩行者道だけが北口につながっていた(1970 年代)。04. 多摩線開通の日の新百合ヶ丘駅ホームにて(1974 年6 月1 日)。02030431 しんゆり人 NO. 002 2019 SPRING