ブックタイトルしんゆり人 NO.002 2019 SPRING

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概要

しんゆり人 NO.002 2019 SPRING

歴史探訪  古の風を感じて文/善田 紫紺撮影/編集部弘法松弘法大師が植えたと伝えられる津久井街道の道標 小田急線・百合ヶ丘駅から歩いて15分ほどの所にある弘法松公園には60数年前まで、弘法大師が植えたと伝えられる松の大樹があった。その言い伝えとは次のようなものだ。 諸国を行脚していた弘法大師がこの地にやって来て、寺を建立するのにちょうど良い谷を見つけたが、谷の数が100にひとつ足りない99であった。建立をあきらめて立ち去ろうとした時、弘法大師が突いていた松の枝を地面に差したところ、次第に根が生え立派な松に成長した。このことから「弘法松」と呼ばれるようになった松は、都筑郡と橘樹郡の境の峠の見晴らしの良い尾根にあったため、津久井街道を行きかう旅人たちの道しるべになったという。 ところで弘法松には、こんな話が伝えられている。あるとき、目の見えなくなった母親のため、医者に薬を取りに行った若者が、帰り道に疲れ[INFORMATION]弘法松公園川崎市麻生区百合丘2-10(小田急線・百合ヶ丘駅より「聖マリアンナ医科大学」行または「大谷」行バス「弘法の松」下車徒歩3 分)01. 弘法松があったとされる場所に立つ標石。初代の松の樹高は8m で、周囲は1mあったという。02. 公園からは街と丹沢の山々を見渡せる。03. 晴れて空気の澄んだ日、正面には富士山が頭をのぞかせる。て松の下で眠りこんでしまった。すると「松の湧き水と松を煎じたものを飲むと母親の目が治る」という夢を見た。若者は家に帰り、夢のお告げの通りにやってみると、驚いたことに母親の目が見えるようになった。その話を聞いた村人たちが辺りを探したが、湧き水など出てこない。噂が広まり、ついには松の皮を剥ぐ者が続出するありさまとなった。仕方なく村役場が松の周りに柵を建て、騒ぎはいつしか収まったが、その柵もいつの間にか朽ちてなくなった。そんな弘法大師が植えた初代松は、1956年に起きた火災によって一部が焼けてしまった。その後、倒木の危険があったため、1960年には全てが伐採されたという。 現在、弘法松跡には案内板が立てられ、そこには「数回の代替わりを経て、現在のものは2003年に植栽された松である」と記されている。0103 02MAP D-323 しんゆり人 NO. 002 2019 SPRING